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藤村龍至インタビュー
4/7 ロンドン出発前に行った藤村龍至さんへのインタビューです。
藤村さんのインタビュー集「1995年以降」を読み自分もインタビューという手法に魅力を感じ、自らの状況から批判的工学主義についてのお話を伺いました。



「工学的アプローチを復活する」

森田:まずは、僕の住む三河はトヨタをはじめ企業の工場がたくさんあって、そこで働く人たちが住んでいて日本中からも出稼ぎ的に働きにくる人もいるようなところです。もとが工業高校の出身なので、仲間もそうゆうところで働いたりしています。それで、動物化がこのまま単純に進んでいくんじゃないか、そうなったら僕がそこで建築家になったとしても、生きる道がないんじゃないかと。それでハウスメーカーなどの組織に対する建築家のスタンスに疑問をもっています。

藤村:企業城下町的なコンテクストで、宮台真司さんのいう「郊外化」、東浩紀さんがいう「動物化」「工学化」する社会状況というものがあるんですね。

森田:それで僕はどう変えていったらいいんだろうと。ショッピングモールはすごく自然に受け入れられるし、かなりのアクティビティを担っていることに悲しいと思えるわけです。

藤村:まあでも現実だからね。卒業設計、dipcolle(東海地区卒制展)もそうでしたが、郊外化、工学化する風景が現実に広がっているなかでそれに向かう学生の提案というものはなかなかないですよね、それはどう思いますか。

森田:私小説的作品というんですかね、自分の内面とか空間の話ばかりでそれはあまり面白くないと思います。システムに対しての提案はあまりないですよね。そういう話が結局建築家のなかだけの話なんじゃないのかと。



1. BUILDING K(設計=藤村龍至建築設計事務所+オーノJAPAN)



藤村:例えば伊東豊雄さんが「気持ちのいい空間をつくりたい」というのは、建築のデザインというのが技術的、社会制度的な側面からしか説明されていなかった時代にそういう私的な価値観でものを言うことに意味のある時代があったわけだよね。磯崎新さんが「都市からの撤退」と言ったり、篠原一男さんが「住宅は芸術である」といったり、徹底的に個人的であることによって社会と接続をする、ということを言わないと設計をすることの意義を見いだせないという1970年代の時代的な状況があったと思います。その頃は被いかぶさってくるようなシステムが見えたから、個人の建築家がそれに対して反抗しなければならない現況があったと思うんだけど、情報環境が拡大して技術依存が進んだ今はシステムの多くの部分が見えない工学の層に行ってしまった。その変化の象徴が震災、オウム、インターネット元年の「1995年」で、『1995年以後』ではそのあとに活動を始めた建築家と議論をしようとしているわけね。その枠組みは社会的なものだから、建築以外の領域からもいろいろと反響が出て来ています。
振り返ってみると、建築家が都市から撤退した世代の背景には高度経済成長があったわけです。「巨大建築論争」というのが1970年代、高層建築が建ちだした頃にあって、経済が発達したからといって建築家がそんな大きな建物を建てていいのかというような論争です。批評家の神代雄一郎さんは、経済原理に無批判に従っている建築家を嘆いたんです。文章のなかである高層ビルについて、金儲けのためのなんて貧しい仕上げだと、そういうことを書いたら、実はただの養生であることがわかって、一斉に反論がおこったんです。
一番強力な反論は、日建設計の林昌二さんの書いた「その社会が建築を創る」という文章で、社会が建築を要請しているのであって印象批評に終始するのはいかがなものかと。それはあまりにも単純な話で、個人の意思だけで建築はできているわけではない。大きさ、高さ、ヴォリュームというような与条件はクライアントを含む社会が決めているわけですよね。法規とか、社会的なニーズとか、そういうものも決まっているのだから、それを建築家のせいにするのは批判としておかしいという反論だったわけです。
しかしそれが、その社会に無批判に従う組織設計事務所のテーゼになってしまった、と磯崎新さんが位置づけている。それは逆の突っ込みもあって、 私性がアトリエが反社会的なポーズを取る根拠になっている。その二層構造はわかりますか。

森田:その社会というのは政治の規制であったりとかそういうものですよね。

藤村:そうです。生活の層に対してシステムの層が大きくなっていったのが現代です。システムを設計しているのは「その社会が建築をつくる」という組織の側で、生活の側で「つくりたいものをつくる」と言っているのがアトリエ。それがそのまま教育と実践だったり、学生と社会人だったり、いろいろな線引きになってしまっている。建築ジャーナリズムはアトリエ側しかフォローしないので、それを読む学生はアトリエ寄りになる、その反対に組織事務所、社会人、コンセプトではない実務寄りになる。本当はコンセプトだけではだめだし、コンストラクションの論理もはいっていなくてはだめ、学生と社会人というのも切れていてはいけない、教育のなかで実践的なことを教えなくてはいけないし、社会のなかでも理論的なことを語らなくてはいけないんだけど、そこがぷつっときれてしまっている。それが日本の現状だと思います。それは根が深くて、建築界全体を覆っているので、個人がちょっと社会に関心を持とうとしたところで、なかなかブリッジできるものはない。
そうやって社会のなかで乖離した表層と深層を根本からつなぐためのコンセプトが「批判的工学主義」です。効率と多様性を求める社会では、アトリエは組織化し、組織はアトリエ化して新しい設計者像を構築していかなければ社会性を獲得できない。でも、それが実現できれば情報化と工学化を前提とした場所性の再構築をはかることもできる。そのためには、「つくりたいものをつくる」というのでもだめだし、「その社会がつくれと言うからつくる」というのもだめ、その間を批判的にブリッジする第3の立場というのをつくらなくてはいけない。そういう話っていうのは学生にも届く理論だと思うんですが。

森田:すごくわかりやすい話だと思います。



2. BUILDING Kの設計プロセス



藤村:僕らのような作家にとって「理論」と言うのは、社会に対して立ち位置を整理するための枠組みでいいと思う。でも僕らが学生だったころの「理論」と言うのはもっとインテリで高尚なイメージがあって、例えば「意味を失った記号としての柱をうち建てることで都市の虚構性をあばきだす」とか、意味の分からないことを言うのが建築家のお約束だった。上の世代の建築家たちは若手が無意味な文学に走っていて、巨匠や組織事務所はバブルの余韻で巨大で暴力的な建築をつくっていた。「1995年以前」、僕らの世代が最初に建築に興味を持ち始めたころというのは全体にそういう無意味な感じが支配的でした。だから伊東さんや妹島さん、塚本さんたちがレムコールハースやスイス建築に影響を受けて即物的なメッセージを出し始めた頃は本当に刺激的でした。
僕らのころから、しゃべっていてはものがつくれなくなるという暗黙の了解というのができてしまって、建築家は寡黙にものをつくらなくてはいけないというような雰囲気だったんですよね、男子は職人礼賛、女の子は感覚礼賛というように。でも本来コンセプトというのはクリエーションに対して刺激を与えるもので、理論があって、方法論があって、実作があって、という循環が一番生産的だと思うんだけど、ここ10年ぐらいは理論的な立場を明らかにしつつ方法論を提示してものをつくるというロールモデルがなくなってしまったんじゃないかな。それを復活させるというのは僕らの狙いのひとつです。

森田:学生もなびくんじゃないかと思うんですけど(笑

藤村:なびいてないと思いますよ、今のところ。まだまだ反応は鈍いと思います。でも、多少時間はかかるけど、そのうち変わるでしょう。

森田:東工大は理論をずっとやっているようなイメージでしたが。

藤村:塚本さんや坂本さんはすごく語るのでね。ただ塚本さんは市場経済や情報化については多くを語らないし、坂本さんも社会や都市については語らないという立場。やはり1970年に都市から撤退したパラダイムのままなんです。でも僕らの世代は95年という転換点のあとなので、もう一度都市に回帰する契機を手にしている世代だと思うんです。その鍵は情報化した社会から何を学んで、どうやって郊外化を救済できるか、という問題のなかにあるということです。

森田:今の建築家が社会を変えようとしている力は感じないですね。単純にお金はかかっているし、中産階級の多い三河で建築家として独立することは難しい。デザインというインセンティブも理解してもらうことが大変だと思います。

藤村:アトリエをやってる限りにはね、広がりを想像しにくいと思うんですよ。だから組織みたいになればいいんじゃないかな。アトリエより効率的で、ハウスメーカーより創造的な活動のモデルをつくっていくしかないんじゃないですか。

森田:でも組織化してメディアに載らなくなることで、力をもてないというのも損な気もするんです。

藤村:だからまずはアトリエ指向のジャーナリズムの枠組みを変えなければいけないし、批評的な作品を作れない組織の体制を変えなければダメですよね。例えば突然企画書を持って編集者に押し掛けても、なかなか変わらないわけです。だけどROUNDABOUT JOURNALみたいな活動をしばらくやってきて、だんだんと注目してくれる下の世代というのが出て来て、彼らがアトリエだけではなくて組織やゼネコン、大学やメディアなど、だんだんいろんな場所で働き始めている。僕らの提示している問題意識を、かなりの程度共有しているんですよ。あと数年すれば建築界の話題もだいぶ変わると思います。多少時間はかかるけれどもそういうふうに根本から変えていくのが大事だと思います。
「批判的工学主義」を言いはじめたら、ある後輩の学生が「建築を続けたいけれど、収入について心配しなくてよくなって気が楽になった」と言っていました(笑)。1970年以降のアトリエと組織の対立、作家とシステムの対立というのは現実的に言うとそういうライフスタイルの選択の問題になっていて、楽しく生きたいけど収入はほしい現実と、収入は欲しいけど楽しくない現実の対立になっている。だから「批判的工学主義」は社会の枠組みを問うマニフェストだけれども、人生設計の枠組みでもある(笑)。だから学生にも社会人にも届くんだと思う。
多くの人は「批判的工学主義」という言葉が難しいから一般受けしないって言うんだけど、時間をかければ伝わるような気がする。例えば、ファッション業界も同じように、デザイナーズブランドと大手のアパレルブランドがあって、大手が安い商品を市場に投入するからそちらを買ってしまう、だからわざわざお金をだしてコンセプチュアルな服を買うひとはいないという状況があるわけです。それはいろいろな分野に共通する社会的な構図だから「批判的工学主義」というのは、突然言われてもわからないにしても、テーマとしてはすぐに実感できるはず。だから通じるんです。「内部と外部の曖昧な関係」のほうがよっぽど難しい(笑)。



3. ROUNDABOUT JOURNAL(vol.8)



森田:でもそのシステムとユーザーの二項対立というのも、グレーになっているんじゃないかと思うんですけど、システムに参加するためのハードルは下がっていて、いろんなかたちで表現活動をしているひとはたくさんいると、例えばブログとかでも。

藤村:でもそれもパッケージされたプログラムであって、プログラム自体を書いているわけじゃない。ブログが普及して総表現社会になったと言っても、システムとユーザーの対立が解消したことにはならない。やっぱり「工学」の占める深層が強くなってしまっていて、その上の表層でどう振る舞うかという表現のほうが問題になっている。
だから卒業設計で芸術系の表現が流行っているようにみえるのは構造的なんです。表層のパフォーマンスをジャーナリズムが追いかけているし、それによって学生が言論を形成しているわけだから。社会的なことを考えるには本当は工学の層との関係で芸術を考えなくてはいけないんだけど、今はとりあえず私性に籠った振りをしなければ評価されない。卒業設計でも、こういうのってリアルじゃないけど「学生だから」、あるいは「卒業設計だから」といって仕方がないと割り切って「芸術的に」振る舞っている人は意外と多いと思うんです。それはあくまで現状の卒業設計メディアの枠組みにアジャストしただけで、M1になったら就職活動をして、卒業してネクタイをしめて就職をして「工学」の層に取り込まれていく(笑)。深層と表層の乖離は学生と社会人の乖離に対応していて、現状ではそこで関係が切れてしまっているのにメディアが青田買いに走るから最近の卒業設計はどんどんリアルじゃなくなっていますね。「私性」とか言って手紙を読んじゃうようなパフォーマンスはその当時インパクトがあったみたいだけど、いろいろな意味でもう通じないでしょう。
これからは工学的なアプローチがもっと出てくるべきです。そこを刺激するためにはいろんなところで活動をして呼びかけていかなくてはいけない。卒業設計の審査員でも呼ばれる限りいろいろなところへ行って自分の考えを説くわけです。そうすれば学生にも、審査員で一緒になった人にも、取材に来ているジャーナリストにも、少しは考えが伝わっていくと思います。


2009年4月7日藤村龍至建築設計事務所にて


藤村龍至(ふじむら・りゅうじ)
1976年生。建築家。東京工業大学大学院博士課程単位取得退学。現在、藤村龍至建築設計事務所主宰。PROJECT ROUNDABOUT共同主宰。東京理科大学、首都大学東京、日本女子大学非常勤講師。作品=《BUILDING K》《UTSUWA》など。編著=『1995年以後──次世代建築家の語る現代の都市と建築』など。


by moriqlo04 | 2009-05-02 18:20
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